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vol.1

祈りの心を
未来へ繋ぐ

〈後編〉

コーディネーター山田 節子

山田 節子

前編では、約20年に及ぶ当社との取り組みをお話しいただきました。「作り手と使い手を繋ぐ」山田さんの一貫した思いは、東京の百貨店、松屋銀座での様々な展示会や売場創りを通しても発信されています。
後編では、松屋銀座でのアドバイザーとしてのお話しから伺っていきます。

― 山田さんがものづくりの世界に携わるようになられたきっかけは、やはり、松屋銀座のお仕事がおおきいのでしょうか。

松屋銀座さんとは1970年代からずっと、半世紀も仕事をさせていただいております。デザインの松屋と云われ、学生時代から憧れの場でもありました。
初めての大型企画催事が高度成長前夜の1977年「日本人の食器展」でした。それは日常の食卓の基本、飯椀・汁椀・箸など、全国の心ある作り手の方々が作るモノを、それぞれ100点を目標に集め、300坪以上ある会場での、当時では珍しいカタログ的な展示販売会でした。
その後、テーマを変えながら80年代半まで、年一回の大仕事でありました。

⽇本⼈の⾷器展 ⽇本⼈の⾷器展
全国の選りすぐりの⾷器を集めた催事「⽇本⼈の⾷器展」より

― 「日本人の食器展」はどのような展示会だったのですか。

当時は、東京オリンピック、大阪万博が終わり、欧米文化優先で海外旅行、洋風惣菜などが注目され、生活よりファッションへ、作るより買う時代へと、大量生産大量消費が美徳の世の中へ変貌の始まりでした。
そのような時代の中で、世界でも独特な日本の食文化や器文化の美意識を忘れずに、未来化を提案するために、心ある作り手の方々に、日常的に使う、よい器を手がけて頂ければと考えたのです。飯椀、汁椀、箸、小皿……大皿大鉢等々、それらをつくっていただくために、全国の産地を訪ね歩くようになっていきました。
当時はあちこちに、人格的にも表現や技術でも優れた親方のような方がいらっしゃいました。夜になると若き作り手達が親方の家の囲炉裏の周りに集まり、「自分たちは自然の命、材料を使わせてもらっているのだから、いい加減なものはつくるなよ」と技術のことはもちろん、材料の特性や時代性、つくったものがどのように経年変化するかなど、作り手としての人生論を織り交ぜながら語り伝えられていました。私もその片隅に座らせていただき、耳を傾け学ばせていただきました。

― 展示会を企画する中で、ものが生まれる場・人との関係性を深めていったのですね。その他にも様々なお仕事をされています。

1981年の自然食の「正直村」という、自然食の先駆けショップの誕生も、その翌年本物の日本茶「茶の葉」という茶席の発端も、いずれも、私の日常の生活の中での些細な発見がコトの始まりでした。
息子の3歳の誕生日を椿山荘で祝った時、玉子の美味しさにお驚き、お伺いすると、「当店では、那須の牧場で飼われている平飼いの玉子を使っております」とのこと。「本物の玉子の味を伝えたい」と、その話を聞き届けて下さり、「坊や。これが、本当の玉子だよ。」の全面広告で、当時の玉子の3倍の値段もする平飼いの玉子を販売に漕ぎ着けました。

松屋銀座の新聞広告(1981年)
松屋銀座の新聞広告(1981年)

何と発売初日、50パック程の玉子は一時間ほどで売り切れたのです。その後、いち早く食品売り場に自然食の店として「正直村」が誕生しました。
また、「茶の葉」の誕生は、私のアシスタントの家に「急須がない」、という話が発端でした。ご飯とお茶は日本の食文化の根幹をなすものですが、当時は、雑誌でもコーヒーや紅茶ばかりにスポットが当たる時代でした。その一方で何事によらず、大量生産、大量消費に主眼が置かれ、茶畑に大量の化学肥料が投入され、根が弱り日本茶本来の美味しさが失われ始めた時代でした。
「加速する日本茶の衰退は日本文化の衰退にもつながる」と思い、お茶の淹れ方が見える、味わえる場を、銀座の一等地にある百貨店の中にと松屋に懇願したことがきっかけでした。
その他に、毎年暮れに開催されている「日本のかたち」という催事や、日本文化の伝統美を回顧し未来に繋ぐ催事「華麗なる装いの美」「桜」「王朝の遊び」「日本のいろ」の展示会も松屋の方々はもちろん、多くの心ある方々のお力添えをいただき、松屋という場の力あり、実現できたことでありました。
松屋というところは、モノやヒト・コトが集まる所で、博識で、次の時代を作っていかれる方が出入りされるところです。様々な出会いを重ねさせていただき、時の流れの中で、モノ・コトを学び、形にして行ける、かけがえなき場であると感じています。

⽇本のかたち
正⽉迎えの催事「⽇本のかたち」より

― 様々なコトを手がけられていますが、一貫したテーマが感じられます。

古来よりこの国は、四季の移り変わりに心を寄せ、自然を重んじ、その自然に畏敬の念を持ちながら、恵みに感謝し暮らしてきました。海外の文化も巧みに学び、取り入れ、独自の解釈で文化として様々に育み続けてきました。
私は、それらの固有の生活文化を少しでも未来に繋いでいくことが出来たらと、日々学び、歩み続けて行けたらと願っています。
「山川草木悉皆成仏」という言葉を忘れずに、人間もまた、自然の一部であることを念頭に、作る人と使う人を繋ぎ、心と心が通いあうことで、生きる喜びが立ち上がり続けることを願っております。
ネット上で、どこでも簡単にものが買える時代ですが、モノの一つひとつが、どのような素材でどのように作られているのか。そしてどれほど人の手をかけて生まれてきているのか。簡単便利で、生き急ぐ暮らしより、作る人・使う人・売る人の心が満たされ、地球にも人にも優しい、未来を模索する責任を常に念頭にと思っています。

― なるほど。松屋で続けられていることと、当社での取り組みが、一本の線で繋がっていることがお話しを伺う中で見えてきました。
ここで、「祈り」の話に戻り、山田さんにお持ち頂いたご自宅のお写真をもとに、日々の暮らしのお話しを伺いたいと思います。

⽂箪笥とデザイン厨⼦ Type A
⽂箪笥とデザイン厨⼦ Type A

こちらの写真は、明治生まれの父が使用していた大切なものを入れていた文箪笥の上に、内田繁さんデザインの赤い扉の厨子を置いている、居間の一画です。文箪笥も厨子ですが、厨子の上に厨子を乗せています。それぞれに使い勝手が良く、役割を演じ、用ある時には扉を開き、今様に祈りを捧げる、我が家の暮らしに馴染み、大切なモノやコトそして記憶を納めてある場です。家族写真を置いたり、干支を飾り、季節の花を添えたりと、自在に変化させられる「祈り」の場として、常に見守られているという空気感が気に入っています。

伊藤慶⼆⽒の作品 膳と仏
伊藤慶⼆⽒の作品 膳と仏

こちらは、陶芸家の伊藤慶二さん(※3)が作られた膳に、これもまた伊藤さんが作られた仏を置いたものです。私がまだ20代の終わり頃、青山のグリーンギャラリーで、この白い膳だけが並び、その存在感に圧倒された展示会がありました。その場では買えず、どうしても忘れがたく、後から問い合わせたところ、「残っているよ、見に来てご覧」ということになり、ご自宅のある美濃まで出かけ、買い求め、それからの長いお付き合いとなりました。伊藤さんはものごとの道理を、深く考えられ、表現され、作品に魂を感じさせられる稀有な作り手のお一人です。
孫が小さな頃、この家にやってくると、部屋から部屋へ走り回って遊ぶのですが、不思議なことに、こちらの手を合わせて祷る像の前に来ると、教えてもいませんのにスッと手を合わせて、チョコンと頭を下げるのです。ビックリしました。祈りの所作が自然と子供の感受性に響き、知らず知らずのうちに真意が伝わるのでしょうか。モノの力は言葉なくして伝わること、思い知らされたことでした。

― 私も、子どもの行動にハッとさせられることが多々あります。こちらも伊藤さんの作品ですか。

伊藤慶⼆⽒の作品 仏⾜
伊藤慶⼆⽒の作品 仏⾜

そうですね。これは伊藤さんの「仏足(ぶっそく)」という作品です。自宅の庭、椿の木の下に置いています。朝、窓を開け庭を見ると、そこに仏が立っておいでのような気がして、自分の心が清められ、背筋が伸びるような気がいたします。

― ご自身の暮らしの中に「祈り」が自然と息づいているように感じます。

温暖化のニュースを目に耳にする度に、どうしたら孫の世代に未来を残せるだろうかと、日々真剣に考えさせられます。過去に学び、未来にバトンを託そうとする……例えば厨子というものは、そうした自分の心を見つめる箱でもあると思うのです。内田繁さんと厨子を手がけたときも、例えば玄関に置けるようなものも欲しいとも頼みました。たとえ、一人住まいの方であっても、出かけるときに「行ってきます」、帰ってきた時「ただいま」と声をかけられるような、親に、先祖に、大切な人に見守ってもらえている、そんな心の拠り所が必要な時代ではないかと。厨子はそうした日々の中で、願いや祈りの心を納め、受け止めてもらえる、心の箱でもあるのではないでしょうか。

― 忙しい世の中で埋没してしまう、自身と向き合う、心豊かな時間が必要と感じます。日々の暮らしで意識していることはありますか?

開発メンバーと厨⼦を前に話す
ショールームにて、アルテマイスターの
開発メンバーと厨⼦を前に話す

日常を可能な限り、些細なことでも、感謝の気持ちで丁寧に送ることでしょうか。
私は、幼いときから、祖父母・両親・親戚、ご近所のおじさんやおばさん、そしてその後も、実に多くの方々から本当に多くの事を教え、伝えられました。心に深く残る様々な出来事が、記憶の辞書となって、道案内をしてもらっていると常に感じ、有難き事と思っております。
松屋という場にも、人にも、そして、難題を出すたびに真摯に取り組まれている、アルテマイスターの方々にも、「よくぞ」と感謝いたしております。

― 感謝の心を持ち、日々を大切に暮らすということですね。

日々の食事や器を大切にするがごとく、暮らしを大切にするということも、「祈り」に近いものではないかと感じています。もちろん、人の生き方がそれぞれであるように、「祈り」にもそれぞれの形がありましょうから、こうでなければいけないということはないと思います。ただ、私が思う「祈り」は、明日を良く生きるために、力を与えてくれる、自然も然り、親は無論のこと、ヒトもコトもモノも何事も、見守り人のような存在ではないかと感じています。

あとがき

日々の暮らしを大切にする。それは山田さんが一貫して仰っていることで、私たちもそれを心に留め、日々を過ごすことを目指しております。朝起きて窓を開け、匂いで季節の移ろいを感じたり、通勤のときに「あ、桜のつぼみが膨らんできた」など、小さな気づきが日々の暮らしを豊かにすることを教えて頂きました。
お忙しい中、お話しいただきありがとうございました。

※3
伊藤  慶二(いとうけいじ)陶芸家
/1935年岐阜県に生まれる。1958年武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。1960~65年岐阜県陶磁器試験場デザイン室勤務。1978年世界クラフト会議・日本クラフトコンペ美術出版社賞受賞。1981年ファエンツァ国際陶芸展(イタリア)。2006年岐阜県芸術文化顕彰。2007年円空大賞展 円空賞受賞。2013年「伊藤慶二展」(岐阜県現代陶芸美術館)、地域文化功労者表彰。2017年薬師寺奉納、日本陶磁協会賞 金賞受賞。