島津さんは、「団塊世代」のストライクゾーンの男性。学生時代は大学闘争に明け暮れ、その後、社会人になっても引き続き社会活動にいそしんできた。
自分たちの活動と努力で世の中を良くしたい、できるはずだと考え、長年そのことを疑いもしなかった島津さんだが、定年を過ぎる頃から次第に「俺が生きている間には、ちょっと無理かも」と諦観するようになった。
多くの時間と労力と意識を社会活動に注いできたが、世の中はどんどん病理性を深めているように見える。
こんな局面に対して、最近は体力と気力の衰えも手伝って、「今更自分ができることはあまり多くはないだろう」といった気分になってしまうと言う。
しかしだからといって「俺はもう知らん」というのも本意ではない。「このままじゃ・・・」という思いと、「そうは言っても」という気分。この2つの折り合いをつけようとして鬱々とする日々が続いている。
島津さんは言う。「こんな行ったり来たりが続くと、なんとなく『祈りたいような気分』になってくる」「だからといって、神仏に祈る気分ともちょっと違う。要するにある種のリラクゼーションを祈りに求めているのかもしれませんね」と。
それから島津さんがしきりにするようになったのが墓参だ。それまでは仕事と活動に時間を取られて、めったに行かなかった墓に、しばしば足を運ぶようになった。
また地方の寺に仏像を訪ねることも多くなった。以前は歴史的な興味と関心から「見に行って」いた仏像だったが、今ではさまざまなことを問うたり、話しかけたり、ときには考えることを止めるために、「会いに行く」ようになった。
そんなときに旅先の会津若松で出会ったのが「アルテマイスター」の厨子だった。そこにあった厨子の佇まいに心惹かれた島津さんは、それからわずか2週間後、妻と一緒に会津若松を再訪し、二人で内田繁氏の白い厨子と伊藤慶二氏の仏を選んだ。
いくつかあった伊藤氏作の仏の中に、亡くなった妻の母の面影をもつ仏があった。島津さんは、それを家に迎えたら、きっと妻は母を供養している安心感と母に守られている安心感の両方を同時に得られるだろうと思い、その仏を選んだ。
こうして島津家にやってきた厨子と仏は今、リビングにしつらえられたサイドボードの上に安置されている。ちょうど東向きで、朝日が厨子に差し込む。そのせいか、まるで仏の後ろに後光が射しているように見える。そして島津さんはその様子に何とも言えない安らぎを感じている。
出典:「新しい祈りのかたち」を創る
発行:繊研新聞社